実は昨日、7月29日は青森空襲があった日なのです。
前の投稿のリンク先にもあるとおり、平和公園は青森空襲の犠牲者を供養する目的で作られました。メディアでは死者1000人以上と報道していますが、実際はあまり詳細は判っていません。中学の時に自由研究で調べた時は、死者3000人説が有力だったのですが・・・今は1000人以上にしているようですね。ともかく、市街地の90%以上を焼失したのは事実で、青森市内に歴史ある建造物がほとんど無いのはこれが原因です。
実はこの一週間ほど前に、米軍艦載機による青函連絡船襲撃というのがありました。結果は連絡船16隻、全隻撃沈または大破で航行不能となり、死者も3000人以上と言われています。わずか一週間で5000人もの命が失われたのですね・・・
日本国内最大級の被害だったと言われる青森空襲は、実は3つの不運が重なっています。
1.本当は青森・函館の同時空襲の予定が、函館が天候不良で青森に集中した。
2.田舎に避難していた人に対する帰宅命令が出ていて、その期限日が空襲当日だった。(期限日を過ぎると配給を停止するという通告だった)
3.使った焼夷弾は最新型で、初めての実戦使用だった。(米軍はあまりの威力に驚き、これ以降は使っていない。)
なんということでしょう。ため息が出ます・・・
平和公園は、国鉄東北本線・浦町(うらまち)駅があった所です。避難した人が多く集まり、そして多くの犠牲を出しました・・・・実は僕の母も青森空襲の経験者でして、家も浦町駅の近くだったそうです。しかし、「浦町駅ば危ない!」と誘導してくれた人がいて、隣の浪打(なみうち)駅に逃げて助かったそうです。そういうこともあって、青森空襲は僕にとっては他人事ではないのです。
P.S. 書き忘れてました。前の投稿の噴水は平和公園の噴水です。