2017年8月7日 青森花火大会(本文)

前の投稿は編集で手一杯で、アップロードで力尽きた感じでした。書くことが沢山なので、新しい投稿にしました。

最初は青森ベイブリッジの支柱を一緒に撮ろうという気はさらさらありませんでした。しかしピントがなかなか合わないので、どうしたらいいか色々試していました。そのうち画面をタッチした所にピントが合うことを発見し、ベイブリッジの支柱を右端に配置し、右手親指で頻繁にタッチしてピントを合わせる、という技を発見しました。それがちょうどいい対比を生んだ気がします。

撮ってて思い出しましたが、青森ベイブリッジのライトアップは時間によって色が変わるんですよね。何気に夜景の名所だったりします。

夜景INFO 青森ベイブリッジ歩道

ちなみに青森ベイブリッジの支柱の高さは91メートルだそうです。花火がどれだけの高さまで届いたか、なんとなくわかる気がます。

P.S. ねぶたの動画を撮った7/4は、一日としては史上最多の68万人の人出だったそうです。道理でやたら多いわけです。ねぶたの日は青森市の人口が3倍になる、というのはあながちジョークでないのかも。(青森市の人口は現在約29万人です)

2017年8月4日 青森ねぶた祭り

お待たせしました!

ねぶた祭りの様子を動画で撮影しました。じっくりご覧下さい。

2017/8/4 青森ねぶた祭り

出世太鼓の映像がありましが、完成した当初は世界一の大きさだったのですが・・・今の世界一は何処だろう?

ねぶた祭り最終日の花火大会の映像はまた別途アップします。期待しないで待って下さいませ^^;

 

平和公園について(青森大空襲)

実は昨日、7月29日は青森空襲があった日なのです。

前の投稿のリンク先にもあるとおり、平和公園は青森空襲の犠牲者を供養する目的で作られました。メディアでは死者1000人以上と報道していますが、実際はあまり詳細は判っていません。中学の時に自由研究で調べた時は、死者3000人説が有力だったのですが・・・今は1000人以上にしているようですね。ともかく、市街地の90%以上を焼失したのは事実で、青森市内に歴史ある建造物がほとんど無いのはこれが原因です。

実はこの一週間ほど前に、米軍艦載機による青函連絡船襲撃というのがありました。結果は連絡船16隻、全隻撃沈または大破で航行不能となり、死者も3000人以上と言われています。わずか一週間で5000人もの命が失われたのですね・・・

日本国内最大級の被害だったと言われる青森空襲は、実は3つの不運が重なっています。

1.本当は青森・函館の同時空襲の予定が、函館が天候不良で青森に集中した。

2.田舎に避難していた人に対する帰宅命令が出ていて、その期限日が空襲当日だった。(期限日を過ぎると配給を停止するという通告だった)

3.使った焼夷弾は最新型で、初めての実戦使用だった。(米軍はあまりの威力に驚き、これ以降は使っていない。)

なんということでしょう。ため息が出ます・・・

平和公園は、国鉄東北本線・浦町(うらまち)駅があった所です。避難した人が多く集まり、そして多くの犠牲を出しました・・・・実は僕の母も青森空襲の経験者でして、家も浦町駅の近くだったそうです。しかし、「浦町駅ば危ない!」と誘導してくれた人がいて、隣の浪打(なみうち)駅に逃げて助かったそうです。そういうこともあって、青森空襲は僕にとっては他人事ではないのです。

P.S. 書き忘れてました。前の投稿の噴水は平和公園の噴水です。

動画アップロードテスト

動画のアップロードを試してみました。http://ktaro0011.sitemix.jp/movie/VID_20170727_143509_small.mp4

どうもこのサイトのファイルの最大サイズは50メガバイトのようです。(^^: (どこにも書いてねーぞ!)

動画編集のソフトは最初ムービー・メーカーにしようと思ったら、今年の初めに無料ダウンロードが終了したらしく、かなり焦りました。いろいろ試行錯誤した結果、英語版のムービー・メーカーにしました。